[57] 手のぬくもり
投稿者:千佳 (38歳/女性/奈良県桜井市/専業主婦)


二年前、六十二歳で父が亡くなった。
突然、救急車で運ばれ、病院のICUで、数日の命と言われた。
体中に管を付け、呼吸器を付け、言葉を出せない父が、唯一私たちに応えてくれた反応は、手のぬくもりだけだった。
「おとうさん」と声を掛け、手を握ると、ゆるやかではあるが握り返してくれた。私の幼い息子が声を掛けると、自分から手を差し出し、弱々しく笑った。
幼い頃にこの大きな手をつないで歩いたこと、手のぬくもりや、つないだ手の安心感、父との懐かしい思い出が、そんな極限の状態の中で、いっきに溢れる。
何年ぶりだろう、三十六歳になって、父の手を何度も何度も、握る。その手はやっぱり温かく、大きい。生きている父の手だった。
気がつくと、いつも母か妹、誰かが父のそばで手を握っていた。きっと父の手のぬくもりを通して、父が生きていること、その死を覚悟すること、これまでの思い出、そして家族であることを、自分たちなりに確認していたのだと思う。
父はもういない。でも今は手のかわりに、心でつながっている。あの大きな手のぬくもりが、いつまでも心の中にあるように、いつまでもいつまでも私たちはつながっている。

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ユーザーからのコメント
○私の父も四年前癌で亡くなりました。同じ時期に私も病気で入院していて父は自分の病気の方が大変なのにも関わらず、見舞いに来てくれ手を握って「おまえは生きろよ!」と言ってくれました。その時の大きな暖かい手の感触は私に取ってとても大切な忘れられない思い出です(by あやすけ)

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[56] ドングリ、コロン
投稿者:ちいち (38歳/女性/奈良県桜井市/専業主婦)




結婚3年目。
「ただいま」の声と同時に、拾ったドングリ二つをプレゼント。
貴方の手のひらに、コロンコロンと転がって・・・。
そんな素朴な優しさに心が温かくなった秋の夕暮れ。
ドングリに二人の似顔絵書きました。

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[55] やさしい手
投稿者:KEIKO (32歳/女性/福井県大野市/会社員)


子供が出来て21才で結婚、22才で母になった。当時同居していた義父、義母とはうまくやっていたつもりだった。でもココロは正直で私にパニック発作を与えた。漠然とした不安感、いつ起こるか分からない発作、私は鬱病になり外にもでられなくなった…子供はまだ2才。泣いてばかりいる私の頭を撫で、ティッシュで涙を拭いてくれた。そんな状態が何年か経ち、私は離婚し子供と離れ離れで暮らしている。今は介護福祉士として施設で働いている。今の私がいるのは君がいてくれたから。小さな手で一生懸命元気をくれようとしたからだよ。今度はお母さんの番だね、やさしい手を差し伸べよう…あの時の君のように。

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[54] 洋子のクラスメイト
投稿者:永嶋晧子 (64歳/女性/千葉県/主婦)


娘が小学校三年生の時 結婚したばかりの担任の先生から明らかに「いじめ」ととれる扱いを受けました。
全校音楽会で 木琴の子をほめ ピアニカの子をほめ ハーモニカの子をほめ こんどこそ自分の番かと胸をわくわくさせて待っている娘をすどおりしてしまうのです。
授業中手をあげても娘のことを指さない。あげくのはて「あなたもお兄ちゃんたち(5年、6年に二人の兄がいた)」のように優秀とは限らないんだからね」と娘に言ったりもしたのです。
担任のY先生にとって 娘の洋子は腹立たしい存在であったらしいとしか思えませんでした。
学校側に相談しても 改善される筈などなく あの母親はうるさいと烙印を押されるのがわかっていたし 洋子への風あたりがひどくなってもいけないし耐えられるだけ耐えようと心に決めていました。
ところが秋の深まりを感じ始めた頃 洋子の仲良しのお友だちのお母さんに言われたのです。
「洋子ちゃん どうかした? この頃 学校の帰りに出会っても下向いて歩いていて元気ないわよ。顔色も悪いし。」
この言葉に私はもうこれ以上無理かもしれない、このままにしておくと洋子を駄目にしちゃう。と母親の本能で思いました。主人とも話し合い、市役所へ電話をして必要な書類を確め 翌日の朝 洋子の学校へ電話して その日付で転校したい旨伝えました。
驚いた様子もなく 担任のY先生は「ああそうですか、わかりました。」とそっ気ないものでした。転校の理由も聞かれず、むしろあっけにとられてしまいました。
「何もかも承知してやってるな」と私は自分の決断は間違ってなかったと思いました。
クラスのお友だちに お礼とさようならをして 教室を出るとクラスのお友だちがゾロゾロついてくるのです。はじめは様子をみるようにゆっくり、そのうち たくさんの子たちが「洋子ちゃん!行かないで!行かないで!」と口々に叫びだしたのです。授業中だから席につきなさいという先生の制止を聞くどころか、「先生が悪いんだよ!先生が洋子ちゃんのこといじわるしたんじゃないか!」私は鳥肌がたつような驚きでした。
「みんな!ありがとう!もう お教室にもどって!」思わず私も泣いていました。
子供たちはもどるどころか 私たちが校庭を横切り 校門を出ても まだついてきました。送る方も 送られる方も 泣いていました。お友だちを振り切る為 私と洋子はタクシーに乗りこみました。
タクシーが走り出すと子供たちはタクシーを追いかけてくるではありませんか!
「洋子 みんなが応援してくれてるのよ!新しい学校でがんばれるね。」私たちはタクシーの窓から小さくなって見えなくなるまで 洋子のクラスのお友だちに手をふりました。

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ユーザーからのコメント
○いじめを見て見ぬふりをする世の中、お友達の行動や言葉が嬉しくなりました。
生徒に言われ、先生がどう感じ思ったのか聞きたくなりました。(by 蒼依)

○まだそんな先生がいるなんて信じられません。同じ大人として恥ずかしいばかりです!小さな子供何も抵抗できない子供に対して恥じるべき人間です!その後娘さんは元気ですか?(by ナルナル)

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[53] 今の自分
投稿者:ぴー (20歳/女性/石川県金沢市/その他)


4年前にバイトしてたお店の話です 当時16才でオーナーはメッチャ厳しくて接客態度や要領悪かっただけですぐ怒るような人でした ある日オーナーが尊敬する人のお店に連れていってくれてその店のマスターに「この子メッチャ仕事頑張ってしてくれるからすごい助かる、ただ調子のりやすいからあんまり褒めんケド**ちゃんは田舎で一生終わらすのもったいないよ?? 仕事できるやつはもっと上にいかなアカンよ」っていきなり言ってきました そのオーナー達は海外で修行したり有名なレストランで働いてたりしてめちゃくちゃすごい人なのにあたしのこと認めてくれた その頃県外に行こうか悩んでたケドその一言で決意して東京へ…紹介してもらった店だったから頑張って仕事覚えた結果フロアマネージャーになりました あの時の一言がなかったら今のあたしはいなかったです **サンありがとう

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[52] 兄貴の店
投稿者:natukawa (34歳/男性/石川県金沢市/その他)


時計を見ると、午後四時。ガラス越しに店の中を覗きこんだ。暖簾の隙間から、兄貴の背中が見えた。夜八時から明け方まで営業している兄貴のラーメン屋は、まだ仕込みを始めたばかりの時間帯だった。
俺は、店のドアを開け、小さな声で、ちわす、と言って、背中の大きな荷物を床に下ろした。
「よお、今度はどこへ行くんだ?」
兄貴が、いつもと同じように、黒々とした髭の中に、白い歯を見せて笑った。
俺は、あまり儲からないフリーのカメラマン。そんな俺が、兄貴の店に顔を出すのは、遠くへ仕事に行くときだった。店に行くのは、決まって、開店直前の午後七時ごろ。俺は、兄貴のラーメンを食ってから、夜行の電車やバスに乗って、現地に向かった。兄貴の店に行くのは、俺にとってある種、旅に出る前の儀式だった。
「今日は、早いな」
「いつもより、早く行かなきゃいけないんだ」
「この時間じゃ、まだ(ラーメンは)出せねえぞ」
「じゃあ今日は、諦めるかな」
兄貴は、忙しそうに狭い厨房の中を動きまわっていた。俺は、兄貴が出してくれた水を飲みながら、せわしなく動き続ける兄の背中を見ていた。
「どうして今日は早いんだ?」
「実は、今夜、飛行機で海外に行くんだ」
兄貴が、手を止めて、振り返った。
「すげえな! お前の写真、認められたのか?」
「うん。俺の写真を気に入ってくれた会社があって、企画モノだけど、金出してくれたんだ」
「よかったじゃねえか!」
幼い頃に両親が離婚した。俺達兄弟を引き取った母は、俺が中学の時に他界した。それからは、兄貴が五つ下の俺の面倒を見てくれた。
どん、と音がした。
カウンターに、中華用の丼が乗っていた。
「ラーメンの代わりに、これ食っとけ」
丼には、湯気の上がったご飯と、その中央に黄色い生卵が乗っていた。
「それが嫌だって言うなら、フライパンに落として、チャーハンにしてやってもいいぜ」
兄貴は、丼に醤油をかけながら、にやっと笑って片目を閉じた。
「これでいいよ。いただきます」
俺は、丼を持ち、卵の黄身の真ん中に箸を入れた。黄身がじわりとご飯に染みた。不意に、母が仕事で遅くなったとき、兄貴が、米を炊いてくれたこと思い出した。胸が熱くなった。やっぱり、兄貴の店に寄って良かった、と俺は思った。

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ユーザーからのコメント
○自分の事をこんなにも身近に喜んでもらえて弟さんは幸せだなぁと思いました☆(by 蒼依)

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[51] その胸に届けたくて
投稿者:とと子 (18歳/女性/愛知県豊明市/学生)


中学一年の時、死んでしまいたいと思った。学校がつらかった。いじめられてはいないし、表面上は上手くやっていた。けれど私は、本音を言える場所を失っていた。独りぼっちな感覚が、私の心を食べ尽くした。
死にたいなんて家族に言えない。学校が嫌だとは言ったけれど、私は死にたいとは言わなかった。そんなことを言ったら、きっと家族は悲しいから。私のことを大切にしていてくれる家族だから。
けれどある時、ふと気づいた。お腹が痛くて学校まで一人で行けない私を、母が車で送ってくれる。車を降りる時には励ましてくれる。仕事で帰りの遅い父が、母と私のことで話し合っている。姉が高校の先生に相談してくれている。みんなが私のために、一生懸命出来る限りのことをしていてくれた。
大切に思ってくれる家族がいる。隠すことなんてない。家族は私の思いに耳を澄ましてくれる。本音を言える場所は、ここにある。
私は死ななかった。そして家族の後押しを借りて、自分で最後の一歩を踏み出した。転校して、私はそれから楽しい学校生活を送ることができた。

高校一年の夏。私は弁論大会に出た。「三万人の壁をうち破る」。日本には毎年三万人を越える自殺者がいると言う現実、必要としてくれる誰かがいるから死んではいけないことを訴えた。そして、私がどん底にいる時、家族が助けてくれたことを大きな声で伝えた。校内の大会で、私は優勝した。
弁論大会には母が来てくれていた。母には初めてのお披露目だった。母には大会の時聞いて欲しいと、内緒にしていた。毎日自分の部屋で一生懸命練習した。

母にこの思いを伝えたくて。
最高の「ありがとう」を届けたくて。

大会が終わった後、母は言った。感動して涙が出ちゃった、と。私はそれを聞いてほっとした。ちゃんと届いたんだ、そう思った。本当は父と姉にも聞いてもらいたかったけれど、父は仕事で姉は大学だった。その代わり、母が弁論大会で感じた思いを2人に伝えてくれた。

その胸に、ちゃんと届いたよね。
家族のみんな、本当にありがとう。
わたしは今、生きていてとってもしあわせです。

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