あの夏は本当に忙しかった。
父方の祖父が寝たきりになって数年目の夏だった。何かあってもおかしくない状態が何ヶ月も続いた中で夏を迎えた。7月、14日の誕生日に祖父を見たとき、あまりの痩せ方にただただ涙をこらえていた。もう3年ほど前から私のことは忘れてしまっていたはず。最後にしゃべったのは、確か病院にお見舞いに行った日に祖父が一言だけ話した「気をつけて」だと思う。私は7月の末から1ヵ月、アメリカへホームステイに行くことになっていた。両親は「楽しんできなさい。何があっても連絡はしないから。」といって私を送り出してくれた。
1ヶ月はあっという間だった。途中で祖父母宛に葉書も出した。日本酒をいつもお猪口(おちょこ)で飲んでいた祖父に、とても小さなグラスも買った。
8月末、久しぶりに会った両親は笑っていた。空港で久しぶりのおすしを夕飯に食べながら、私は1ヶ月のことをしゃべり続けた。車へ乗り込む直前、母が話した。祖父が亡くなったと。更に、母方の祖父が末期がんに侵されていると。そのときは涙は出てこなかった。祖父が亡くなったこともなんとなく理解できた。覚悟もしていたから。癌になった祖父だってあの元気な姿以外全く想像できなかった。
夜、ベッドに入って一人で1時間半泣き続けた。人の死はこんなに悲しいのか、とも思った。しばらく話してもいなかった祖父だけれど、昔のあんなことやこんなことを思い出すと悲しくて仕方なった。祖父のお葬式は降水が全くなかったあの夏、ただ1日だけ大雨が降った日だったと聞いた。悲しみの雨だったようだ。
宣告を受けた2ヵ月後、あんなに元気だった母方の祖父も亡くなった。最後に交わした言葉は、先になくなった祖父と同じ、「気をつけて帰れよ」だった。その日は、また大雨の日だった。
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ユーザーからのコメント
○短い小説を読んでいるような気分になりました。(by
りんこ)
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