[20] 伝える
投稿者:紫もみじ (31歳/女性/宮城県東松島市/アルバイト・パート)


私が年の離れた従妹の学芸会に行ったときのこと。2年生の劇をなんとなーく見ていたら、かわいいらしい女の子がなにやら、劇とは関係ない動きをしている。とは、言っても手が動いているだけだが・・・。
「ん?」と思ってしばらく見ていると、どうやらそれは手話のようだ。
その女の子の両親は耳が全く聞こえないようで、娘は親を思い、劇の流れを伝えたかったんだと、後から聞きました。それは、先生にとっても予想外のことだったけど、子の親を思う気持ちにほろっときた。
その両親は、実は子供を産むことに反対の声もあったようだが、決意し、産んだ子供。その子供の堂々と親に伝えようとする姿は私に眩しくみえた。

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[19] 幼なじみ
投稿者:ルシアン (28歳/男性/石川県金沢市/その他)


オレには保育園からの幼なじみがいた。3年前。そいつに念願の彼女ができた。3人で遊ぶ事も多くだんだんと仲良くなってきた。それまではよかったんです…。 昨年、そいつが体調を崩して検査入院する事に。 検査結果を聞こうと思って聞くと「ただの風邪」の一点張り。彼女ももちろん知りません。入院して半年くらいたったある日、そいつのお母さんから自宅に電話がありました。「すぐに病院きて」って。その声色で一瞬で悟りました。病室に駆けつけると体中管だらけの幼なじみ。意識があったのかわかりませんがオレの手をぎゅっと一握り。その直後天国へと旅立ちました。その後に彼女が来ました。彼女は幼なじみの胸の上で「何でも言うって言ったやろ?」って号泣していました。オレはそれを見てただただ涙が流れました。葬式のあと、そいつのお母さんから手紙を預かりました。「オレ、癌やって。もう長くないってよ!だから最後にお願いがある ○○(彼女)の支えになってやってくれ。頼むわ。 親友でおってくれてありがとな!」 オレは声をあげて泣きました。 今でもあいつが近くで笑ってる様な気がします。 お前の遺言守って行くから安心しとってや!

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ユーザーからのコメント
○神様なんでですか…(by まぁ)
○もう涙が止まりませんでした。(by 蒼依)

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[18] 親父、ごめん
投稿者:まきあーじょ (35歳/女性/富山県富山市/会社員)


やっとこの家に春来た。結納の日。私は無理してきつい晴れ着を着て遠い彼氏の家に結納金を納めに出かけた。そう彼氏はお婿さんに来てくれるというのでこちらからうかがったのだ。それはもう、家にしたら結婚式ぐらいめでたくて親戚、近所中大騒ぎ。親父(いつからか行儀が悪いなと感じながらも愛を込めて親父と呼ぶようになった)は、その日は新調したスーツと遠近両用の眼鏡で上機嫌。私のためにいつも大酒飲みを控えて越中おわら節なんて歌って和やかに結納の日は過ぎて、

ある日突然、彼氏からのマリッジブルーを理由に別れた私達。その時の私は取り乱して自分も非があったことも分からずただ泣くばかり。

彼が土下座しに謝りに来て、結納の日に指輪交換した指輪を私は返した。「さよなら」どれくらい泣いて泣いて…自分の気持が整理出来たとき親父に言った言葉。
「お父さん、ごめん」
そんな一言しかでてこなくて。親父の目に今の今まで見たことのない涙があふれていて。

その時。ハッとした。私一人悲しいんじゃない。親父も悲しいんだ、私のために悲しいんだって。

そして感謝した。普通なら落胆して話もできないムードになるのを両親とも「今度こそ、いい人に会える」って励ましてくれた。こんなことが二度とないように、もっと家族と話をしようって。今楽しく過ごしています。

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ユーザーからのコメント
○読んで涙がでちゃった。つらい思いがあったけど、乗り越えられるとっても素敵な家族がいて幸せですね♪(by ユメ)

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[17] 諦めないこと
投稿者:さく (17歳/女性/茨城県北茨城市/学生)


これは私が中学校3年生のときの話です。わたしにはTという大事な親友がいました。私は、母親が死んで、複雑な家庭状況にあり、その悩みを唯一話せる子でした。いつも私の立場になって考えてくれて、その子がいなかったら、きっと私の精神は崩壊していたと思います。
ある日のことでした。私とTちゃんは些細な原因から大喧嘩をしました。それまで話さない日なんか一度もなかったのに、一週間以上Tちゃんと話さない日が続きました。
ちょうどその頃、未だに原因は分からないのですが、Tちゃんがクラスの子に無視され始めました。一人でいることが多くなってきていました。
始めの頃は気のせいだろうと思っていたのですが、そんな日が3日位続いておかしいと思いました。ケンカしてしばらく話していないとはいえ、大事な親友が一人でいるのは耐え切れず、私は勇気を出してTちゃんに話しかけました。するとTちゃんは私に向かって
「私のことは放っておいて。私は一人で大丈夫だから。ってか一人でいたいの 。」
と言いました。なぜだかとてもショックでした。それでも私は諦めずに毎日話しかけました。
卒業が近くなってきた頃、私がTちゃんに 「おはよう。」
と言うと、Tちゃんが笑顔で
「おはよう。」
と返してきました。私はとても驚きうれしくなりました。Tちゃんがケンカして以来、初めての笑顔を見せてくれたのです。
それから私たちは、前のように本音を話し合える関係に戻ることができました。
卒業式の日、Tちゃんに手紙を渡されました。とても長い手紙でした。そのなかの一文は、決して忘れることが出来ません。
『さく、ありがとう。さくがいなかったらきっと私学校に来なくなってた。何度も諦めずに話しかけてくれて、私の救いだったよ。さく大好き。』
私は何度もその手紙を読み返し、泣いていました。
諦めずに頑張ることの大切さを、私は学びました。その子は今でも私の大事な親友です。

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[16] ユミコ
投稿者:ゆうたん (26歳/女性/石川県白山市/会社員)


訪問看護師の仕事をして5ヶ月。これは寝たきり状態で毎日訪問看護サービスを利用している80代の女性のところへ訪問した日のことである。その方は意思疎通が乏しく声かけにも時々、単語でポツリポツリと返事があるくらい。その日は介護者の夫が不在で関東に住む娘が介護に来ていた。娘も的確な返事が返ることなど期待はしておらず「ユミコやよ。わかる?」とベッドサイドで何度も声をかける。女性は頷くのみであるも娘はその頷きに満足している様子。私は横で体を拭きながら母娘の姿が微笑ましく思えた。一時間の看護を終えた後で私は頷くだけでも喜ばれる娘の為にも「ユミコさんのこと、わかる?娘さんやよね?」と声をかけた。すると「…ユミコ?」と発して目には涙が溢れていた。「今、名前を3年ぶりに呼んでくれた!」と娘も涙ぐみながら私の手を掴む。「この子はねぇ…よく…後ろをねぇ…」とはっきりと言葉は聞き取れないが昔のことを思いだして話して下さっているようだった。
昔はとても前向きで頑固だったという女性。そして子供が大好きだったという…。記憶は曖昧になっていると思う周囲の思い込みとは裏腹に母親として子供を心配する気持ちや愛しく思う気持ちは変わらないのかもしれない。

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