[40] 両親への手紙
投稿者:初ママ (23歳/女性/石川県金沢市/専業主婦)


半月程前に結婚式を挙げました。私は二人姉妹の長女。彼のご両親も理解してくださり、彼をお婿さんとして迎え入れたのでした。
普通なら花嫁から両親へ、涙ながらに手紙を読むのでしょうが、今回は私と彼で相談して彼から両親への手紙を読むことに。
式の前夜まで彼は何枚も紙をまるめてはまた書く…という事を繰り返していました。元から国語は苦手なようだったので、私も『また?』と少し呆れながら下手でも本人の気持ちが伝わればいいんだわ、と思って見ていました。
ところが当日、いざ彼が手紙を読み出すと幼い頃父親に『いらない人間にはなるな』と言われてきこと、遅くまで遊んでいても母親は『おかえり。ご飯は?』と気遣ってくれたことなど、彼がご両親からかけられた言葉を彼なりに理解し、必要とされ愛されてきたんだということがひしひしと伝わってきました。その手紙を聞いて、彼の母親は涙が止まらないようでした。今まで育ててきた我が息子を外に出すこと、血は繋がっていても我が子ではなくなるような淋しい気持ちでいっぱいだったのでしょう。それは私にも痛い程伝わってきました。それと同時に、これからは4人の両親を今まで以上に大切にしていこう、彼を必要とし愛し続けていくことを改めて心に誓いました。

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[39] 桜
投稿者:yaya (32歳/女性/神奈川県横浜市/専業主婦)


一昨年の春。
帰省の為に通る関越自動車道。中越地震の爪あとがまだまだ濃く残る凹凸の激しい道。標識もゆがみ、民家の屋根を覆う雨よけのブルーシート。崩れた山肌。見ているだけで、胸をぎゅっと捕まれるような切ない思い。
だけれども、こんなにひどい震災後だけれども、畑は耕され、田んぼには水が入り、早苗を迎える準備ができている。
しっかり春を迎えているこの土地。
強いと思った。
そして、その田んぼの前で、半分に折れながらも花をつけている桜の樹。
私の方が励まされているような気がして、涙が流れた。
どんな冬でも、春が来る。
こころからそう思った。

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ユーザーからのコメント
○どんな冬でも春が来る・・・強い言葉に感動しました。どんなに大変なことがあっても、そう思って頑張っていこうと思いました。(by みつこ)

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[38] 指輪
投稿者:花yタ (24歳/女性/石川県能美市/会社員)


彼と一緒に行った大阪旅行で2000円のお揃いの指輪を買いました。決して高いものではないけれど、お互い大切にデートの時は必ずつけていました。

そんな大切な指輪だったのに私は他の指につけついた指輪と共になくしてしまいました。家の近所や心当たりの場所、部屋の中を一日中探し回ったけど見当たらなくて、彼に無くしてしまったことを話し謝りました。彼は怒ることもせず、一緒に探してくれました。それでもやっぱり見当たりませんでした。

また新しいの買おうか?と提案しても彼はうなずかず、私の右くすり指に指輪がなくても彼はずっと指輪をしてくれていました。

指輪の事を少し忘れかけていた頃、彼が会社の慰安旅行で大阪に行きました。
その頃は、なかなか会えない事や倦怠期みたいな感じで喧嘩も絶えず、別れる事も考えていました。

彼が慰安旅行から帰ってそのまま、幹事をしていて疲れているのに私を迎えに来ました。

彼の家に行き、彼の両親と私にお土産をたくさんくれました。

彼の部屋に入り、二人きりになって荷物の後片付けをしながら、『何で私がこんな事せんなんの。嫁でもないのに』ってイライラしていると、彼が私を呼んでポケットをガサガサしながら小さい袋を取り出して『もぅ一個おみやげ』と私に渡しました。
開けてみると、無くしたものと同じ指輪が入っていました。

話を聞くと、会社のみんなが吉本新喜劇を見ている時抜け出して一人でアメ村まで行き買ってきたそぅです。けど店頭には同じ指輪がなく、店員さんに自分の指輪を見せて『半年ほど前にここで彼女と買った指輪なんです!』と説明したら店員さんも覚えていたらしく、店の後ろから同じものを出してくれたそぅです。
だけど私の指のサイズが分からなくて、女の店員さんに指のサイズを聞いたり、相談したりして恥ずかしい思いをしながら買ってきたそうです。

私が新しい指輪を買う?と提案した時すでに大阪への慰安旅行が決まっていたみたいで、同じ指輪を買おうと決めてたみたいです。

こんなにも私の事を思ってくれる彼なのに、少し会えないだけで別れを考えていた自分が恥ずかしくなりました。

指輪をもらった時『こんな面倒なやつ、俺しか面倒見切れんわ。もぅ絶対無くすなや!』って彼は笑っていました。その時、彼にずっとついて行こう!って心でそっと決めました。

あれから1年。喧嘩もたまにはあるけど、来年の結婚式にむけ、仲良くお付き合いを続けています!

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ユーザーからのコメント
○私にも似たような経験があります。私の場合、指輪が壊れてしまい凹んでいると、彼がすぐお店へ直行して同じ物を買ってくれました。値段400円(笑)のストーンリング。でもとてもとても大切な私と彼の宝物です。なんだか自分達のことを思い出して微笑ましく思いました。(by 睦月)

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[37] グレ
投稿者:あき (27歳/女性/東京都世田谷区/会社員)


うちの猫は、23歳まで生きた。名前はグレ。お医者さんや、トリマーさん達は「こんなおばあちゃん猫は初めて見た。」と口を揃えて言った。猫の平均寿命は15歳〜18歳と言われている。グレは、シャムと日本猫のミックス。
ボテってしてるのに、シャムの毛色。かわいい奴だった。一人を好むけど、時々甘えにやってくる。満足すると去っていく。典型的な猫だ。ただ、誰にも迷惑をかけたりしない、控えめな猫だった。
グレが20歳を過ぎると、だんだんとボケが始まった。ダイニングのテーブルにのぼって焼き鮭を盗んだり。空の水皿をずっと舐めていたり。夜中、「布団に入れてくれ。」とミャーミャー鳴くが、布団を開けてやると、そこから首をかしげて考える。「入ろうかな。やめようかな。」こっちも眠いのに、早く してくれよ、と思うのだ。
そんなグレが死んだ。2006年の3月5日だった。とてもよく晴れた日曜日。朝8時45分。兄弟はそれぞれお嫁に出ていて、離れて暮らしていたけど、知らせを聞いて全員実家に集まった。グレが冷たくなっていて、信じられなかった。本当に眠ってるみたいだったから。老衰。23歳だった。
グレの生きていた昨日とグレが死んだ今日では、まるで世界が違って見えた。
昨日と今日が、こんなに違うなんて。グレがいるのといないのとじゃ、こんなに違う。家族の一員グレ。
母は言った。「グレちゃん、あじが好きだったから焼いてあげようね。」みんなが泣いて、みんなが悲しんだ。
また母は言った。「最近みんな忙しくて会ってなかったもんね。みんなが、お仕事休まないで済む様に、日曜日に引き会わせてくれたのかしらね。」仕事 の日でも、グレが死んだって聞いたら、きっとみんな飛んで帰ってきた。でも、グレは日曜日を選んだ。きっと、選んだ。どこまで控えめな奴だ。
今でも、それぞれの家のリビングにグレの写真が飾られている。

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[36] おばあちゃんのプレゼント
投稿者:アキ (27歳/女性/石川県金沢市/その他)


私の心の中にずーっとひっかかっていることがある。それはおばあちゃんへのプレゼント。
私のおばあちゃんは私が産まれる時に病院の手術室で生死をさまよっていた。家族がもうあきらめてしまったとき、奇跡的に生還した。みんなは産まれて来る私のおかげかもしれないと言っていた。
そんな私をおばあちゃんは3人兄弟の中で一番かわいがってくれた。なかなか昼寝をしない子で、忙しいお母さんが困っていたところ、おばあちゃんが私を乳母車にのせて庭をぐるぐる回ているうちに寝てしまい、お母さんはとても感謝していたそうだ。
私が中学生の頃、おばあちゃんは病気の後遺症でうまく歩けず、ある時転んでしまい体が前よりも不自由になってしまった。座ったままの生活になり、痴呆が出てきて、たまに変なことを言ったりした。私は中学生の多感な年頃で冷たくしてしまったこともあったが、今思えば、もっと優しくあたたかく接してあげれば良かったと思いとても後悔している。
私が19歳の時、元気だったおじいちゃんが倒れ、半年後ぐらいに他界した。おばあちゃんは車椅子でお通夜に立ち会ったが、この状況を理解できているのかどうかは分からなかった。ただ、一言もしゃべらずボーっとしているだけだった。
その後、おばあちゃんは病院に入った。私は少しだけ後ろめたいような、ちょっとかわいそうな、でも介護が大変だったから少しほっとしたような変な気持ちだった。季節は12月。もうすぐクリスマスだった。
週に何回か、でもそんなに行ってないかもしれないけど、私はお母さんとおばあちゃんに会いに行った。きれいな病院で、おばあちゃんの様子も落ち着いていたし、どこかにあった後ろめたい気持ちもだんだん消えていったように思った。
ある時病院の看護士さんに『プレゼントもってきました?』と聞かれ、お母さんははっとし『しまった!忘れとった』 と言った。病院内でささやかなクリスマス会をするらしく、そのとき患者さんに渡すプレゼントを家族が用意することになっていたようだ。お母さんと私はどうしょうと考え、とりあえず病院の売店に行ってみた。案の定、プレゼントになるようなものはなく、かといってこれからどこかへ買いに行く時間もなかった。私達は仕方なく売店で靴下を買った。それを看護士さんに渡し、もう一度おばあちゃんの顔を見に病室にもどった。なんだかあの時の後ろめたさがもどってきたような複雑な気持ちだった。
その日の帰り際私が『バイバイ』と言うとおばあちゃんは、あごまでかかった布団からかろうじて出ている顔でにっこりと笑って『バイバイ』と言ってくれた。おばあちゃんが『バイバイ』って言うのってなんかかわいいなぁ。と思って少しうれしくなった。その顔が一生忘れられない顔になる。それがおばあちゃんと最後のお別れになったからだ。
数日後の夜、病院から知らせがあり、お父さんが今までに見たことないくらいの勢いで家を飛び出していった。玄関の戸は大きく開いたままだった。すぐに私達もその後を追った。
病院に着き、病室に行くまでの間は『信じたくない、何で?』という気持ちでいっぱいだった。病室に着くとおばあちゃんは眠っているみたいだった。『おばあちゃん・・・』と言い、布団の中の手を握ると温かかった。看護士さんの話では、その日一日変わった様子はなく、いつものように『おいしい』といってご飯を食べていたそうだ。でもその後、しばらく休んでいるうちに看護士さんが様子がおかしいことに気付き、まるで眠っているように息をひきとっていたそうだ。苦しむこともなく、誰にも迷惑をかけず、一人静かに。
私はおばあちゃんのまだ温かい手を握り『何で?何でなん?』と言いながらポロポロ涙をこぼして泣いた。集まった家族や親戚も泣いていた。体が不自由で、いろいろな人のお世話になったから、最後は誰にも迷惑かけたくなかったんかな。
あれから7〜8年たった今でも悔やんでいる。おばあちゃんに渡せなかったプレゼント。時間がなくても、無理をしてでも買いに走ればよかった。後ろめたい気持ちや申し訳ない、心苦しい気持ちのものではなくて、精一杯の感謝の気持ち、私をかわいがってくれた感謝の気持ちを込めたプレゼント。それはもう渡したくても渡せない。
だから心の中でありがとうをいっぱい言って、天国へ届けるよ。

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